産油国の富を何に使うか
サウジアラビアが、富に任せて新しいサッカーリーグを作り、名選手を買いあさっている。そんなことをさせておくぐらいなら、もっといい提案をして、投資させたい。
どれぐらい、彼らが温暖化について理解しているだろうか。
さすがにサウジの気温が60度を超えたら、分かるんではないだろうか。(バカちゃうの?)
CO2を明日ゼロにしても温暖化が止まらない。惰性で進む。つまり、吸収し、さらに冷やさねばならない。
空を冷房するのは可能か。
冷房機そのものの機体で飛ぶ。
さらに、塵の膜で日差しを遮蔽せねばならない。
どこかでしなければ、負のフィードバックで温暖化が加速する。
でもやりたくないな。
日差しを遮る薄曇りに、大きな害があると思えない。
東南アジアは八月が涼しい(28~30℃平年)が、ずっと曇りのせいだ。
夏はずっと曇りでもよい。
エアロゾル散布は出口がないと言われるが、やらないよりマシだ。
千葉県鴨川が涼しい理由
日本で一番涼しく、今年でも28度程度だ。
それは、深い海の流れが海岸に出てくるからだ。
冷たい海流の力だ。
これは、かなり特筆すべきこと。
似た原理を利用すると、かなりのエネルギー節約ができる。
神戸も、大阪が36度の日に33度程度。
3℃は海の力だ。
それは、エネルギー費に直すと、膨大な金額。
海の底からパイプを作り、表層まで流れが一部来るようにする。
それだけで、かなり海面温も下がり、
町も涼しくなるのでは?
日本はどんな風に変わってゆくか
日本の産業構造が、とてつもなくCO2を出す構造になっているから、
これから日本が変わるのは、かなりしんどい。
自動車産業を変えてゆくのは、解雇と隣あわせだ。
しかし今のような、4年で買い替え、エンジンについて語り合い、
車で週末どこかに行くのがライフスタイルということを、やめなければならない。
すでに今、日本、アメリカ、中国のせいで、迷惑をこうむっている国、動植物があることを、自覚すべきだ。
石油化学産業も、縮小すべきだ。
海沿いのあの環境に悪そうなコンビナート。あれが
2050年にはなくなっていなくてはならない。
もくもく煙を吐くような地域がなくなって、空はすっきりしていなくてはならない。
それは実行されるだろうが、
だからそのための議論をもう始めておかねばならない。
実際に、技術的にはそれはもう可能なことばかりだ。
代替素材がいくらでももうできている。
だから、「議論」をすべきだ。
もっと、人にかみつけ!あいまいにしてズルズルほおって置くと・・・。
水不足克服のために運河をつくれるか
日本向けの米も生産する水。米国政府がコロラド川の水不足を宣言。流域全体の気温上昇に起因(橋本淳司) - 個人 - Yahoo!ニュース
「わずかな節水では生態系から失われていく水を維持、回復するのはむずかしい。
新たな管理手法として「ウォーター・ソフトパス」がある。米国のピーター・グレイク、カナダのハリー・スウェインら複数の研究者が、エイモリー・ロビンスの「エネルギー・ソフトパス」のコンセプトを淡水に応用したものだ。
ひと言でいえば、将来の生態系に必要な水をまず保障し、そのうえで人間の水使用量を逆算して考える。生態系との共生を図る持続可能な水マネジメントなので、「生態共生管理」とも言われる。
生態共生管理はどう実施するかというと、仮に30年後、コロラド川流域の淡水資源が100、生態系保全のために必要な水が60とする。すると人間の使用可能水量は40なので、その水でやっていける社会をつくることを考える。」
ある引用だが、これを実行するのは難しい。
政治的にトラブルになる可能性が高い。
運河で水を運ぶのは、不可能ではない。
中国が長大な運河を計画しコスト面で批判されているが、工夫で安く運河はできる。
昔フランスでつくられたミディ運河、
アフガンで中村医師が作った運河。水量がちいさくても、
アフガンでは立派に畑を蘇らせた。
高低差を超える技術は、昔からのものがある。
こういうアナログな工夫が、案外エネルギー節約の時代にはいいのだ。
水のパイプラインも可能だ。
腐るのを防ぐために、中継地点ごとに防腐処理を施す。また流していれば、基本的に腐りにくい。
アメリカ西部の農家がすべて廃業して移住することの費用を考えれば、
かなりのことをやってもまだ安い。
おすすめ人文書の紹介「世界は贈与でできている」
おすすめの人文書を紹介する。
『世界は贈与でできている』
最有望の哲学者、「希望」のデビュー作。「仕事のやりがい」「生きる意味」「大切な人とのつながり」―。なぜ僕らは、狂おしいほどにこれらを追い求めるのか?どうすれば「幸福」に生きられるのか?ビジネスパーソンから学生まで、見通しが立たない現代を生き抜くための愛と知的興奮に満ちた“新しい哲学”の誕生!
目次
第1章 What Money Can’t Buy―「お金で買えないもの」の正体
第2章 ギブ&テイクの限界点
第3章 贈与が「呪い」になるとき
第4章 サンタクロースの正体
第5章 僕らは言語ゲームを生きている
第6章 「常識を疑え」を疑え
第7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」
第8章 アンサング・ヒーローが支える日常
第9章 贈与のメッセンジャー
目次を見てわかるのは、贈与のほうが交換より大きいということである。
当たり前だろう。考えてみれば、親が子に食わせるのも、
先生が子供に教えるのも、贈与である。
贈与がなければ社会が成り立たない。
だから昔から、交換は共同体の境界で生まれた、と教科書に書いてあるのだ。
だから現在の、なにもかも交換でするのが正しいという考え方が、行き過ぎている。
ベーシックインカムが、いがいと良い方法だと言われ始めているのは、そのせいだ。
著者等紹介
近内悠太[チカウチユウタ]
1985年神奈川県生まれ。教育者。哲学研究者。慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。専門はウィトゲンシュタイン哲学。リベラルアーツを主軸にした総合型学習塾「知窓学舎」講師。教養と哲学を教育の現場から立ち上げ、学問分野を越境する「知のマッシュアップ」を実践している。『世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学』がデビュー著作となる